友達の結婚式披露宴で感じる、同世代間の格差
同世代の結婚式披露宴に参加すると、格差を感じてつらくなります。
「人は人、自分は自分」
と頭では理解していても、自分の人生が惨めに思えて落ち込んでしまう……
そんな体験はありませんか?
この記事では、独身アラフォー女の石川が結婚式披露宴で格差を感じたエピソードをまとめました。
目次
結婚式では、自分が手に入らないものを見せ付けられる
結婚式披露宴では終始、
- 新郎新婦がいかに素晴らしい人物で
- 仕事と私生活が充実していて
- 二人の未来に希望があるか
が演出されますよね。
新郎新婦に悪気がないのはわかります。
しかし、自分の人生では手に入らないものを、延々と見せつけられるのはつらいものです。
非リア充にとっては、マウンティング行為と同じなんですよね。
食べられないご馳走を目の前にドンドン並べられて、匂いだけ嗅がされている状態と言うか……
私は結婚式披露宴に参加するたびに、
「なんで私はこの場にいるんだろう……」
といたたまれない気持ちになります。
傍観者ではいられないブーケトス
幸せな新郎新婦を見ているだけでもおなか一杯、胸焼けしそうな状態なのに、
「これから未婚女子の皆さんで花嫁のブーケを奪い合ってもらいます」
と容赦なく当事者にさせられてしまうブーケトス。
花嫁の幸せをお裾分けする、ハッピーなイベントってことになってるじゃないですか。
実際にはあれ、くさった死体に聖水投げつける儀式ですからね。
なぜ未婚女子だからといって、他人の結婚式で晒し者にされるんでしょうか。
披露宴のスピーチで感じるキャリア格差
披露宴のスピーチ、無職のときに聞くと心に刺さりますよ~、ナイフが。
あれって、職場の上司が新郎新婦の有能さをベタ褒めするものが多いじゃないですか。
貴重な休日に結婚式披露宴に出席して、無償でスピーチまで引き受けてくれる上司がいる時点ですごいんですが、その上、大勢の前で新郎新婦を賞賛してくれるとか、別世界の出来事すぎてつらいです。
ブラックじゃない職場って世の中にはあるんだ、と他人の結婚式披露宴で気づかされるわけです。
自分はつくづくキャリア形成に失敗したと痛感させられます。
披露宴のプロフィールムービーで心を抉られる
披露宴の中盤から後半で流れる、新郎新婦のプロフィールムービー。
あれは非リア充には大変危険な代物です。特級呪物です。
リア充たちのキラキラした生育歴や日常映像なんて、負の感情しか生み出しません。
もれなく、己の人生への絶望感が深まります。
私が今までに見た中で一番きつかったのは、新郎新婦が旅行先で撮り溜めた写真をまとめたムービーでした。
旅行写真と言っても、風景を撮ったものではなく
- 観光地で二人が体をくっつけてイチャついている写真
- 旅館でご馳走を食べている写真
- 浴衣姿で眠っているところを片方が隠し撮りした写真
など、生々しいツーショット写真ばかりでした。
X(旧Twitter)にカップル共同アカウント(カップル共同垢)ってあるじゃないですか。
あの類の写真が延々と続くムービーです。
「私は一体、何を見せられているんだろう……」
と呆然としてしまいました。
カップルの記念写真は当人同士だけで共有すればいいと思うんですが、親や親戚、友達、職場の人たちにも広く見せたいものなんですかね?
そういう性癖の人たちだったのかな。
私は知人が恋人とイチャついている姿は正直、見たくないです。
結婚式の誓いのキスも、できれば見たくありません。
当時の私はフルタイムで働いてはいたものの給料が安く、ボーナスもなく、旅行にも外食にも行けない暮らしぶりでした。
旅行やグルメの情報は見ないようにして、手に入らないものとは距離を置いて暮らしていたんですね。
それが、結婚式披露宴で
「人生にはこんな楽しみがあるんだよ」
「同世代の人たちはお金を使って、ハッピーな体験を重ねているよ」
「お前、この楽しみを味わえないなんてとんだ負け組だよ」
と突きつけられるわけですよ。
ボロアパートに住み、貧乏暮らしの私が、親に新居を買ってもらって、これから新婚旅行に出かける新郎新婦に三万円のご祝儀を包む。
そして、
「今月の生活費、どこを切り詰めよう……」
と悩む。
惨め以外の何物でもないです。
幸せな家族像を見るのがつらい
プロフィールムービーは家族の集合写真や、新郎新婦が赤ちゃんから大人になるまでの成長をまとめたものが多いですね。
普通の、あたたかい家庭で育った人たちのありふれた映像。
私は家族関係にトラウマがあり、プロフィールムービーで幸せな家族の姿を見るのがつらいです。
機能不全家庭で育った自分と比べてしまい、過去の嫌な思い出が蘇ってくるのです。
同じ理由で、花嫁の手紙も苦手です。
両親に感謝の気持ちを伝えるなら、どうか内輪でやってくれ!と思います。
新婦があえて、大勢の招待客の前で両親への手紙を披露するのは、
「私は愛されて育ちました」
「両親に感謝できる良い娘です」
とアピールしているように思ってしまうんですよね。
家庭環境が悪かったら、花嫁の手紙なんて読めませんから……
持たざる者の嫉妬ですね。
幸せな自分たちの姿を見て欲しい新郎新婦と、それを見るのがつらい私。
このミスマッチにずっと悩んできました。
アラフォーになった今でも、家族の感動ドラマを見るのが苦手です。
おそらく一生、克服できないんじゃないかと思います。
結婚式後はしばらく心が荒れる
毎度、結婚式披露宴から帰ってきた後は気持ちが荒んで、落ち着くまでにしばらくかかります。
頭を切り替えて、これまで通りの日常を送っていくしかないんですが、それがなかなか難しいんですよね。
結婚式で見せ付けられたキラキラハッピーなシーンが自分の人生には全くないことを、結婚式後の日常でじわじわ思い知らされるのが、またつらい。
結婚式のダメージから立ち直るには、キラキラハッピーなシーンをなるべく早く忘れてしまうに限ります。
結婚式に出席した痕跡を消して、思い出さないようにするんです。
帰宅後はすぐにドレスを脱いで、シャワーを浴び、メイクを落とす。
結婚式で着たドレス、バッグ、靴はなるべく早くクリーニングして、普段目に付かないところへ片付ける。
カタログギフトもいつまでも部屋に置いておかずに、さっさと交換して処分してしまいます。
同世代間の格差だから余計につらい
結婚式後に陥る思考パターンは、いつも同じです。
「同じ時代に生まれた人と、ここまで人生に差がついてしまった」
「就職氷河期世代だって、立派にキャリア形成している人はたくさんいる」
「私があちら側に行けなかったのは、結局のところ、能力が劣っていたせいだ」
「過ぎてしまった時間はもう取り戻せない」
「今後も一発逆転できる見込みはない」
「自分はどこで選択を間違ったのか?」
「いや、どの道を選んでも、私のスペックではあちら側には行けなかった気がする……」
毎度毎度、生産性のない考えに囚われてしまって、どうしようもないです。
私は歳を取って、自分の仕事能力に限界を感じるようになってからは、同世代間の格差を一層つらく感じるようになりました。
十代の頃は家庭環境が悪くても、努力が結果に繋がらなくても、どこか自分の未来に希望を持っていました。
今は「もう挽回できない」という閉塞感がすごいです。
結婚式で明るみに出る格差
若い頃は格差がある相手でも、それなりに友達になれました。
お金を使わなくても学校に行けば会えて、テストや部活など共通の話題もたくさんありました。
親戚付き合いもそうです。
歳が近ければ、子ども同士で無邪気に遊べました。
それが大人になると、本人の能力や経済力、家柄などによって、住む世界が完全に分かれてしまいます。
食べていくのがやっとのワープアが、中流・上流の人たちとお付き合いを続けるのは難しいです。
ご祝儀制の結婚式は貧困層の存在を想定していません。
ゲストは全員、ご祝儀3万円+αをポンと出せる人という前提で招待されます。
だから下流の人間が結婚式で格差を感じるのも、仕方ないんじゃないでしょうか。
「あそこはアウェーな場所だ」
と開き直って生きていくしかないのかなと思います。
まとめ
- 非リア充は自分の人生では手に入らないものを、ひたすら結婚式で見せ付けられる
- 結婚式では同世代間の格差が明るみに出る
- ご祝儀制の結婚式は貧乏人にはアウェー